『スローライフ・ファンタジー』を必要以上に語る

光チンです。

先日発売されたTHE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 08 BEYOND THE STARLIGHTに収録された、双葉杏の2曲目のソロ曲となる『スローライフ・ファンタジー』を聴いてみて、一晩語った内容を纏めようと思い記事を作成しました。

 

 

勿論、ただの感想ですし、考え過ぎな部分も多くある文章になるとは思いますが、決して大きく間違った内容では無いと思っています。日頃から双葉杏の担当プロデューサーとして彼女の事をよく見ている方にも、『スローライフ・ファンタジー』を聴いてみて歌に込められた意味が気になった方にも是非読んで頂き、この曲の捉え方の一つとして考えを深めて頂ければと思います。

 

早速結論。『スローライフ・ファンタジー』はアイドル双葉杏としてCDを出したアイドル曲では無い。

 

はい。早速です。曲を聴いて真っ先に考えたのはこの事でした。

 

あれ、この曲、アイドルの双葉杏の曲じゃなくね?

 

アイドル曲とはつまり、モバマス内の世界でCDを出し、デレステのステージに立ちファンの前で披露する。アイドルゲームの大前提とも言える概念です。

双葉杏のデビューソロ曲『あんずのうた』は諸説あるものの、基本的にはアイドルの双葉杏モバマス世界でCDを出した楽曲であると認識しています。

ですが『スローライフ・ファンタジー』を聴いた時に、どうしても彼女がこの曲をプロデューサーから渡され、スタジオで収録し、ステージで披露する姿が思い浮かばなかったのです。

もしかしてこの曲はモバマスの世界には存在せず、我々プレイヤーにだけ聴けるように音楽という形で抽出された双葉杏の内面、つまりいわゆるキャラソンに当たるのでは無いかと考えました。何となくではありません。理由をお話します。

 

そもそも双葉杏がどういう女の子であるかについて

 

前述の『スローライフ・ファンタジー』がアイドル曲では無くキャラソンだという考えに納得出来た方は読み飛ばして下さって結構です。ここには楽曲についてではなくそもそもの双葉杏について書かせて頂きます。

 

担当でない方であっても、アイドルマスターシンデレラガールズの作品群に触れた事があって双葉杏の事を全く知らないという方は正直いらっしゃらないと思います(WWGやU149の漫画から入った方ももしかしたらいるかも知れないけど)。

 

取り敢えず皆様に共通している双葉杏のイメージは『面倒くさがり屋』であると思って間違いないと思います。確かに双葉杏は面倒くさがり屋さんですが、ソレだけの女の子ではありません。

 

担当外の方には意外に思われるかも知れませんが、双葉杏は面倒くさがり屋さんである以前に極度のシャイです。恥ずかしがり屋さんなんです。

 

ここで言う恥ずかしがり屋とは、神谷奈緒さんや小日向美穂ちゃんの様な単に男性からの視線や好意が恥ずかしいという意味ではありません。双葉杏が照れる対象は男性に見られる事とか、そういうのとはまた別です。

 

双葉杏が恥ずかしいと思っているのは、他人から『意外だ』『らしくない』と思われる事です。彼女は徹底して、周りから求められる『双葉杏』のイメージから逸れない様にしています。彼女がSR特訓後のステージ衣装でドヤ顔が多いのも、一貫して『働きたくない』というポリシーを掲げているのも、全ては周りから求められるイメージを裏切るのが恥ずかしいからであると考えています。もちろん全て作り物という訳でもありませんが。

そもそも、あの賢くて、効率(コスパ)優先主義の双葉杏が、未だに飴や印税に釣られてやりたくも無いアイドル活動をやっている訳が無いのです。内心アイドルが楽しくなってきたのに、恥ずかしがって未だに『面倒くさい』で武装しているんです。この事は以前から何度かTwitterでも触れてきており、いつかちゃんと纏めたいなとは思っているのですが、今回『スローライフ・ファンタジー』について語るだけでもメチャクチャ長くなる事が予想されるので、ソフトに纏めておこうと思います。

 

つまり、ニートアイドルで己を装備して心の内を隠す性格の双葉杏が、こんな内面剥き出しの歌なんか恥ずかしくて絶ッッ対に人前で歌う訳が無い!と思った訳です。

(コレは完全にエゴですが、スローライフファンタジーデレステでプレイ出来る様にはなって欲しく無いなぁとすら思ってます。本来モバマスの世界には存在しない曲な訳ですから)

 

スローライフ・ファンタジー』の歌詞を咀嚼する

 

既に冗長な気しかない前置きでも説明した通り、『スローライフ・ファンタジー』は双葉杏の今の内面をそのまま歌にした曲だと考えています。その為、平気で歌詞同士が矛盾するし、ダブルミーニングや複数の意味を孕んだ単語が多数登場します。どれが正解という訳ではありません。曖昧な部分を用意し受け取り側の判断に任せるというのは歌に限らず芸術分野では多く見られますが、それにしてもこの曲はそーゆーのが多い。多過ぎる。

というのも、最後にしっかりと説明しますが、双葉杏自身、自分の気持ちに明確な答えを見出せていないからこそ、このような曖昧な部分の多い曲になったんだと思います。そういう意味では、明確過ぎるまでに『働きたくない』というメッセージ(メーデー)を込めた『あんずのうた』とはある種対照的な楽曲であるとも言えますね。

 

まず、タイトルであるスローライフ・ファンタジー。このスローにはslow(のんびり)throw(ホウリナゲ)の二つの意味が掛かっている物と思われます。曲中の『スローに生きていこう』もつまりは『のんびり生きていこう』『全て放り投げていこう』の二つの意味を持っています。

 

じゃあファンタジーとは何ぞやという話ですが、コレは双葉杏の感情に具体性が無い事からくる曖昧さ・抽象性を表現する単語であると同時に、照れ隠しであるとも思えます。

つまり、曲全体を通して双葉杏の胸の内を綴ってある事に対して、歌詞中の見るなよ…「なんちゃって」だってばと同じ様な、予防線を張ってきている訳です。

この曲は双葉杏の心の中そのものに見えるけど、あくまでもファンタジーだよ、本物とは限らないよ、という保険であると考えています。

 

以下、歌詞についての考察を始めます。

 

ホウリナゲ ホウリナゲ

ぽーんと空のかなた

ホウリナゲ ホウリナゲ

楽しくないことは全部

 

ここの部分だけを見ても特に複雑な意味は込められていません。今までの杏は楽しくない事は全て投げ捨てて生きてきた、というだけの話です。

『面倒くさいこと』とは違う『楽しくないこと』には何が含まれるのかは少し気になりますが。

 

おどりましょ おどりましょ

あんま激しくない曲

おどりましょ おどりましょ

好きなように自由なテンポで

 

『踊りましょう』とは『生きましょう』であり、人生を踊りに準えて双葉杏の人生観を表現している部分であると思われます。杏が意味もなく自分から踊りを踊るのはあまり想像が付きませんし、『自由なテンポ』で踊る事はしても、踊らないという選択肢が無い事から、面倒くさくても人生を生きない訳にはいかないといった感じでしょうか。

『あんま激しくない曲』とはもちろんタイトルにもあるようなスローライフ。つまりのんびりとした人生であるのと同時に、激しい喜びは要らない。その代わり深い絶望もない人生を求めている事が読み取れます。双葉杏は静かに暮したい。

もっと踏み込んだ事を言うと、激しい喜びは要らない、では無く、幸せを得る為には努力が必要で、その努力をするくらいならば『あんま激しくない曲』で良い。と考えていた、というのが正確でしょうか。

 

その今までの双葉杏の人生観に対しての

 

ハッピーの魔法 それはキャンディだって

キミが言うなら そうなんだろうって

なんか笑っちゃって 幸せになっちゃって

 

という返答が『キミ』から得られます。

この『キミ』の存在が誰であるかはあまり重要ではありません。プロデューサーかもしれないし、きらりちゃんやかな子ちゃん、智絵里ちゃんかもしれないし、アイドルの双葉杏からアイドルになる前の双葉杏自身に向けられた言葉かもしれません。

 

ここで重要なのはハッピーの魔法  それはキャンディの部分です。勿論、アメを食べれば幸せな気分になるという意味ではありません。

双葉杏幸せになるには努力が必要という今までの人生観に対して幸せは誰かがポケットから手渡しでくれる様な、お手軽なものだよという答えを提示しているのです。

 

また、わざわざ幸せではなくハッピーアメではなくキャンディと表記している事から、この二単語にはそれぞれHappy Happy TwinCANDY ISLANDの意味も含まれているものと考えられます。アイドルを始めて、ユニットを組んで、双葉杏の中の幸せに対する考え方に変化が生まれた、という文脈であると推測出来ます。

 

いいよね? チカラぬいて

 

初め歌詞カードを見た時はこの一文が独立していたので、いいよね?は単にチカラぬいてに掛かった倒置法だと思っていたのですが、曲を聴いてみると全文からの流れがスムーズで、どちらかと言うと幸せになっちゃっていいよね?チカラぬいてと言っている様に聞こえてきました。前文の中で双葉杏の中で幸せに対する考え方が変わって、特別な努力が無くても(=チカラぬいて)幸せになる権利がある事を知った、と、そんな感じであると思います。

 

地球は回り続ける

ハムスターの回し車

走りたければ走ろう

全部 おもちゃだ

 

前述の好きなように自由なテンポで と併せて見ると、どう足掻いても人生を止める事は出来ないし、生きなければならないのならどうせなら好きな様に生きてやろう、という意味の様に見えますが、普通の事を言っている訳では無く、双葉杏にとってはとても特別な事を言っています。双葉杏は自分のイメージから外れるのを極端に嫌いますから、アイドルになった以降であっても走りたくても走れない部分があったと思われる訳です。自分の欲求に忠実なニートアイドルになったつもりだったけど、自分で作り上げたデビュー当初のアイドル双葉杏のイメージの所為で、今度は現在の双葉杏が窮屈な想いをしてるんです。そんな自己矛盾を揶揄するのが全部 おもちゃだの部分であり、自分が幸せになる為の人生(おもちゃ)である筈なのに、何を照れて遠慮しているんだと、勇気付ける一方で自分を責める言葉でもある様に感じます。

 

たまに

美味しいものも食べたい

全身で喜びたい

クツを放り投げ 寝転びたい

空はキレイだ

 

曲中でもかなり判断に困った部分です。特に最後。

双葉杏って欲求に忠実である事から強欲であるように思われがちですけど、実は結構無欲な子なんですよね。なつやすみアイプロでは『半畳のスペースがあれば生きていける』なんて事も言ってますし、アメは好きだけど食にもかなり無頓着だし、不労所得に並ならぬこだわりがある様に見えても実は重要なのは『不労』の部分であって、所得自体は生きていくのに困らないレベルならそれで良いと考えてるんです。

そんな杏の口から出た たまに 美味しいものも食べたい 全力で喜びたい は、元来の双葉杏ともアイドル双葉杏ともまた一味違う、『普通の女の子の双葉杏』とでも言えば良いのか、アイドルを始めてから生まれた素朴な欲求を現しているような、曲中でも群を抜いて曖昧な事を言っている部分だったりします。

 

一番判断に困るのが空はキレイだ の部分なんですよね。だってその前の歌詞で楽しくないこと全部ホウリナゲしたのが空な訳ですから、少なくとも前述の部分では双葉杏の興味の対象外であった筈なんです。

前述の『双葉杏の中に生まれた普通の女の子としての欲求』と併せると、もしかしたら最初ホウリナゲ していたのはアイドルになる以前に面倒な事だと思って放棄していた幸せであり、アイドルになって考え方が変わってから見てみたら、今まで楽しくない、面倒くさい事だと思っていた幸せにも憧れるようになった、とそういう文脈にも見えてきますね。

 

総合して、一番ではアイドルになって変化した双葉杏の幸せに対する考え方が現れています。コレを踏まえて二番も読んでいきたいと思います。

 

トオリアメ トオリアメ

胸の中 水たまり

トオリアメ トオリアメ

溺れてしまいそうなくらい

 

ここも非常に解釈の難しい部分であります。トオリアメとは何を意味するのか。

直前部分で空はキレイだ と言っていた事、そしてアメ に雨と飴(前述のキャンディと同意味)が掛かっていると判断した上での推測を上げると、

幸せになるのに努力はいらないと知って、沢山の楽しいことが増えたけど、幸せと同時に戸惑いも感じている。と、そういった文であると考えました。

今まで面倒くさい物だと思っていたものが一斉に自分の中に溢れて来て、幸せなんだけど不安なんだと思います。チープな表現ですが幸せの受け取り体制が万全でないから起きる戸惑い、不安なのでしょう。

 

この戸惑いに対する自分の中の簡単な解決策が

 

こぼしちゃえ こぼしちゃえ

いっぱいになる前に

こぼしちゃえ こぼしちゃえ

どうせなら勢いつけて

 

な訳ですね。

自分の中に今まで無かった物が溢れる戸惑い、それに心を委ねる不安、そして何かの拍子にソレら全てを失ってしまうかも知れない恐怖。

ソレら全てを飼い慣らすくらいなら、いっそのことキャパオーバーになる前に自分から捨ててしまったほうが楽だというのが、双葉杏の中で生まれた答えの中の一つな訳ですね。

 

ハッピーの魔法 そんなのなくたって

キミがいれば 大丈夫なんだって

なんて つい言っちゃって

顔 熱くなっちゃって

 

見るなよ…「なんちゃって」だってば

 

アイドルになって覚えたハッピーの魔法、つまり幸せになる方法を初めから無かった事として放棄すれば楽だという解決策は思い付いたのに、キミがいれば 大丈夫なんだって という事は、自分の中で知らない内にキミ (ここでの対象も不明。プロデューサーかアイドルの仲間達か、はまたまアイドルである自分自身か)が大きな存在になっていて、簡単には捨てられない事に気付いた一文です。

「なんちゃって」だってば とは、双葉杏の正確の根本を言い表した表現です。コレは『あんずのうた』の「という夢を見たんだ」という表現や、本曲タイトルのファンタジー にも通ずる物があり、つまり双葉杏は対象が何であれ全ての物に対して コレはである。ファンタジーである。なんちゃってであるという予防線を張って、自分の心への侵入を拒む性格をしているんです。

 

宇宙は広がりまくる

スペクタクルな風呂敷

広げすぎて困ったら

全部 夢オチ

 

二番の歌詞の総評とも言えるサビです。アイドルになって拡がった世界がキャパオーバーしたら、全部初めから無かった物として捨てる。少なくとも今までの双葉杏はそうやって生きてきたんだと思います。

あと、という表現を超えて宇宙としている事から、悩んでいる間にも恐るべきスピードで彼女の中の世界が広がり続けている事が読み取れます。

 

いつも

なんにもせず眠りたい

全身でだらけてたい

ドレス放り投げ まるまりたい

夜はミカタだ

 

一番サビ後半の、普通の女の子の様な欲求とは大きく矛盾した、ある意味双葉杏らしい欲求を表した文です。アイドルになる前の双葉杏はこうしてきた。という表明のようにも見えます。キミがいれば 大丈夫なんだって 以降、ぶり返した様に幸せを放棄して元の双葉杏に戻ろうとしているような歌詞が続きますが、常にその後ろに『そう出来たらどんなに楽か』 というニュアンスが引っ付いている様に感じます。

あと、少し話がズレますが引っ掛かった部分があって、ドレスという表現ですね。双葉杏ってアイドル衣装でドレスってそんなに着てないんですよね(CANDY ISLANDやデレステの共通衣装でなら着てるけど、双葉杏個人のアイドル衣装ってほぼショーパンか和服)。

単にアイドル衣装という意味でのドレスという表現である可能性は否めませんが、そうでないとしたらもしかしたらアイドルとは別で、(北海道での令嬢時代……?)過去に一度自分の中の物全部捨てた事があるのかも知れません。

 

(スローに生きていこう ずっと

    スローに生きていこう キミと)

 

ホントに大事なものは そんなに多くないから

両手で持てる分だけ 大事にしよう

 

今まで散々彼女の中でゴチャゴチャしてきた幸せに対して一定の考えが纏まった瞬間です。

今の彼女にとっての両手で持てる分 が果たしてどの程度の物かは分かりませんが、少なくとも今すぐ全てを無かった事にする様な選択肢は取らず、自分の中でじっくり考えてみようという決意が見えます。

 

そして

のんびり歩いて行こう

心も体も軽く

全て放り投げ 笑いあおう

キミといっしょに

 

(スローに生きていこう ずっと

    スローに生きていこう キミと)

 

先程の部分と大体同じ事を言っていますが、スロー に込められた二つの意味が同時に出てくる部分です。

自分の中の幸せの取り扱いに関してスロー(のんびり)に行くか、スロー(全て放り投げ)してしまうか、今までの彼女だったら葛藤ごと全て無かった事に、夢オチにしていたであろう部分を、自分の中で納得のいく答えを模索してみよう、自分の内面と向き合ってみようという非常に強さを感じる締めくくりになっていると思います。

 

総合して、『スローライフ・ファンタジー』はどういう曲か

『あんずのうた』でCDデビューを飾ってから数年が経ちました。その間に、彼女の中でアイドル活動に対してはもう決着が付いていて、ただ、自分のイメージとは違う為に表明するのを恥ずかしがっているだけなんだと思っていました。

ですが『スローライフ・ファンタジー』を聴いて、彼女の中でまだアイドル活動に対しての想いに決着が付いていなかった事を知りました。

この曲は、アイドルを始めて双葉杏の中に生まれた沢山の感情のせめぎ合い、ゴチャゴチャを、ゴチャゴチャとしたまま歌にした曲だというのが、全体を通しての感想です。

 

不労所得の為に始めたアイドル活動を続ける中で幸せに対する考え方、人生観に変化が訪れ、それが楽しくもあるんだけど同時に不安で、全部捨てられたら楽なんだけどソレも出来ない程大切になっていて、そんな矛盾した感情も全て引っ括めて「杏は杏だよ」 とでも言うような、普通の女の子のような悩みと並ならぬ強さを持ち合わせた楽曲であると思います。

 

まとめ。今後の双葉杏について。

 

まず、ここまで読んで下さった方に最大級の感謝を述べたいと思います。

その場の感情任せに書き殴った長文、相当体力を頂戴したと思います。『スローライフ・ファンタジー』を聴いた感想はここまでです。お疲れ様でした。

 

今後の双葉杏に関してですが、恐らく表面上は暫くいつも通りでは無いかと思います。

そもそも初めに申し上げた通り、今回の『スローライフ・ファンタジー』は、本来なら見えるはずの無い双葉杏の内面を特別大サービスでキャラソンにしてもらった、と、そんな風に捉えています。

なのでこの曲のようにどんなに双葉杏の内面がゴチャゴチャしていようとも、彼女はそれを表現しないと思いますし、また、外からプロデューサーが彼女の抱える問題に対してどうこう出来るという話では無いように思います。

今後どこかのタイミングでポロッと、彼女の口から自分の感情と向き合ってみた結果を話してくれる日を待って、彼女を見守っていきたいと気を引き締め直した次第です。

 

ご高覧、誠にありがとうございました。